徒然日記

変なことをつらつらに書きます。あとは過去の振り返り

過去をつらつらと

どうも、しがない元カノコンプマンだよ。引きずってんな。もう2年だろ、しっかりして

 

 

 

これから数回に分けて今までの事を書いていこうと、自分語りですわ。自分語り

今日はとりあえず小学生までかな。

 

 

 

では早速、幼少

 

 

 

 

生まれた時、泣いてなかった。医者も看護婦も親も青ざめたみたい。死んでると思うもん。何回かケツを叩かれて泣き出した。酷くないか、生まれた時から泣いてない赤ん坊もいるはずなんだけど、一応生存の確認なんだろう。ゾッとする話のひとつ。

 

 

 

 

そこから2年カプセルに隔離される。栄養が足りなかったらしい。そりゃ泣けないわな。この時一体どんな気持ちで親は俺を見ていたのかと思うと、少し暖かくなる。今度何かプレゼントしなきゃ。

 

 

2年どころかここから記憶が吹き飛んで、時は5歳。幼稚園の年中から入園した、1番覚えてるのはここからの記憶。めちゃくちゃ仲良くできた友達が2人いた。特に普通に幼稚園児していた。

 

言えないエピソードといえば、実はこの時点で変態だったのだ。帰りのバスに乗る前、玄関に並んで座り、しばらくお芝居を見る時間なのだが、先生の目を盗んで隣の女の子を触りまくっていた。足、足、足(太もも)。思えばこの時点で脚フェチに着眼されたのかもしれない。

 

しかしよく良く考えればバレバレだろこれ。あの時の俺はどういう確信でやってたのかわからないな。普通の幼稚園児してねえじゃねえか。

特に何も無かったのが救いだ。親に相談とかされてたらまずやばかっただろう。

 

 

 

晴れ晴れと小学生、仲が良かった幼稚園の頃の友達2人がそれぞれ転校してしまった、なかなか悲しかった。

 

 

小一、原チャリにひかれる。キウイ食ってアナフィラキシーショックを起こす。など。生きててよかった

 

小二、めっっっっちゃ好みの子がいてラブレターを靴箱に入れたもののクラスのヤツらにはどやされ女の子達のグループには変な目で見られ、しかも返答はなし。ただ小二だったので特に気にしなかった。

 

ごっこしていて鉄棚の角に歯茎がぶち当たり口の中がもげる。救急車で気を失う。歯茎が元に戻ったのは2年間、その間はぽっかり凹んだ歯茎だった。痛い話

 

 

小三、鬼ごっこしていて相手に目の前でドアを閉められ頭を派手にぶつける。高熱が出たので帰って寝ていると、なんと呼吸が止まったらしい。おもらしもしてたらしい。死ぬ前のあれだな。心臓マッサージと父親の人工呼吸、救急隊

の治療で一命を取り留めた。いやはや、1番死に近かったのはここだとはっきり覚えてる。気づいたら2日立ってたけど

 

小四、特になし。

 

 

小五、めちゃくちゃ可愛い子と同じクラスになり嬉しくなる。可愛かったなあ。好きではないんだけどね。先生が松岡修造とビビる大木を足した感じの人、気合いで給食をこの辺から食べるようになる。ここまで給食を食い終えたことは、カレーの日しか無かったのだ。

 

友達がガンダムオタク、合唱コンクールの曲に君は僕に似ているが採用される。連合vszaft2plusが出て、面白いだったので買ってどっぷりハマるなどして、このへんからガンダムオタクになって染まっていった。

 

 

小六、いじめとまでは言わないのだけど、一部チャラチャラした生徒からアトピーとかいろんなことをめちゃくちゃ言われる。さすがに小六までくると自我が少しあるので、少し辛かった。ただ誰かが先生に言ってくれたり、言われてるところを小二の時に告白した女の子が庇ってくれたりして、ことは解決した。全く情けない、だけどほんとに嬉しかった。そう言えばあの頃はシャイすぎてお礼すら言えなかった。お礼を言いたい。会ってみたいな。

 

 

4年の時はグラウンドゴルフクラブ、5.6年は卓球クラブでクラブ活動していた。グラウンドゴルフはぼちぼち、卓球クラブは親とたまにやってただけあって、先生に勝てるくらいだった。

 

 

勉強については6学年とも、高校まで何ら変わらない。数学系は得意だし、国語も大体いい。社会理科はノーコメント、そんな感じでそんまま地元中学に入学した。ここまでは決められたルートコースだ。

 

 

 

 

割かし長くなったので、やっぱこの辺にしておこう。今度は中学の話から、サクサク振り返る。